パリ五輪の卓球女子シングルスで銅メダルを獲得した、早田ひな選手の専属コーチが石田大輔コーチです。
石田大輔コーチは、早田ひな選手が中学3年生のときから約10年間、卓球を指導。
早田ひな選手の将来性を確信して、好きだった仕事を退職し、早田ひな選手に人生をかけた人物です。
そんな石田大輔コーチとは何者なのでしょうか?プロフィールと卓球の経歴をまとめてみました。
それでは、詳しく見て行きましょう。
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石田大輔コーチのwikiプロフィール
・生年月日:1979年9月25日
・年齢:45歳
・職業:卓球コーチ
・最終学歴:筑波大学
・所属:日本生命
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石田大輔コーチのwiki経歴がスゴイ!
石田大輔コーチは、卓球指導者のサラブレッドとして生まれ、自身も卓球コーチとして活躍。
しかし、石田大輔コーチは自分自身が卓球の選手として活動していた時期もありました。
石田コーチ自身も両親に卓球を習った。筑波大を卒業後、実業団や海外でプレー。その後スポーツ用品大手のミズノに就職したが、10年前、退職した。
引用元:朝日新聞
石田大輔コーチの卓球の経歴をまとめてみましたので、見て行きましょう。
卓球選手時代がスゴイ
石田大輔コーチは、両親から卓球を習い卓球選手としての実力もすごかったようです。
中学時代は、1992年の全日本選手権カデット13歳以下で準優勝。
また、石田大輔コーチの大学時代の後輩がこのようにブログを書いていました。
石田大輔、卓球選手。
オレの大学時代の1コ先輩であり、とっても仲のいい間柄でもある。
スウェーデン2部リーグとデンマーク1部リーグで昨年の夏から1年間プロの卓球選手としてプレーをした。
そんなカレがこのたび、デンマークで優勝という快挙を成し遂げた。
日本にはプロリーグがないため、社会人リーグでプレーしていたが、いろいろな事情があって引退した。
引用元:Ameba
石田大輔コーチは、スウェーデンやデンマークで卓球選手として活躍していたようです。
デンマークで優勝するほどの実力だったこともわかります。
石田大輔コーチは、筑波大学卒業後、卓球選手として実業団や海外でプレーしていました。
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ミズノ社員として勤務
石田大輔コーチは、引退後に7年間、ミズノの社員として務めていました。
ミズノの社員だった当時、全国各地で卓球教室を開いたり、用具担当などを務めていたそうです。
石田大輔コーチ曰く、「(仕事が)好きすぎて、天職だと思っていた」とのこと。
しかし、将来的なポテンシャルを早田ひな選手に感じ、天職と言えるほどの仕事を辞めることに。
まさに、早田ひな選手の将来に自分の人生を賭けたと言うことで、すごい決意ですね。
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石田大輔コーチは、退職したミズノから2023年度「ミズノスポーツメントール賞」を受賞しました。
早田ひな選手の国内外での活躍を、体調管理、栄養管理等、総合的なサポートで支えたことなどが評価されたのです。
石田大輔コーチは、家族全員で20年間にわたり、早田ひな選手をサポートしてきたことが評価されたと語っていました。
早田ひな選手の専属コーチ
石田大輔コーチは、ミズノを退職後、早田ひな選手の専属コーチになりました。
きっかけは2014年の全国中学校体育大会だった。中学2年だった早田選手が、同学年の伊藤美誠選手と顔を合わせた決勝。既に世界で活躍していた相手にフルゲームで競り勝った姿を見て、その才能に魅了された。「五輪でひなが戦っているイメージや、僕が横でわーって言っているイメージが湧いた」
引用元:JIJI.com
石田大輔コーチは、2014年の全国中学校体育大会で戦う早田ひな選手の姿に将来性を感じたそうです。
将来のオリンピックで早田ひな選手が活躍することを確信したことで、専属コーチとしてサポートすることに。
ちなみに早田ひな選手が石田卓球クラブ(現・石田卓球N+)でラケットを握ったのは、4歳のときだそうです。
フォームは石田コーチの母・千栄子さんから、技術や戦術は父・真行さんが仕込んだとのこと。
また石田コーチの兄2人も早田選手の育成に関わっていて、その後10年間は石田コーチが専属で指導。
まさに石田コーチファミリーにより、早田ひな選手は育てられたと言っても、過言ではありませんね。
石田コーチは、卓球の指導だけではなく、早田ひな選手の食事も作ってサポート。
そして、石田コーチが早田ひな選手を指導して、10年後のパリ五輪で銅メダルを獲得したのです。
パリ五輪の卓球女子シングルスで、銅メダルを獲得した早田ひな選手の専属コーチが石田大輔コーチ。石田大輔コーチは、実家が卓球クラブで家族全員が卓球指導者なんですよね。そんな石田大輔コーチは現在[age birth="197909[…]